2024年沖縄行ってきました(まとめ)
2024年1月3日から8日まで5泊6日で沖縄本島に行ってきました。
その旅をまとめておきます。
3日は、前日の羽田空港の事故の影響もあって心配でしたが、遅れはしましたが無事出発。地元友達と1日過ごしました。
4日はレンタルバイクでツーリング&去年移住した方と10年ぶりに会って飲みました。
飲んだ話は書いてないのか。まあ、書けない話ばかりなので割愛で。
5日は誕生日。夜はアグー豚のしゃぶしゃぶだったんですが、それも書いてない。
6日は大学時代の後輩が移住していて15年ぶりくらいに会って、一日ドライブ。
7日は東京からの仲間と観光。
8日は朝ごはん食べて、昼は地元友人たちとステーキ食べて、夕方の便なので早めに空港行って10年ぶりに会う友人夫婦と飲みながら世間話。
その合間に書いた特集記事
アクセスはやはり、沖縄そばの記事が多いようです。
書いてない食事や飲み屋の話もあるのですが、一応、これで終わりです。
沖縄はいろんな楽しみ方があるなと改めて思った旅でした。
何度も同じ店に行くとまた違う感じになるかもしれません。
また行きますよ。沖縄。
2024年沖縄行ってきました(その7):東京のお客様をおもてなし
5日目にもなると気持ちが観光客から地元民に寄ってきます。
ましてや、移住民などに毎日話を聞く旅なので、地元情報にも精通してきます。
前日も行った三笠で、朝からカレーを食べたりして。
今回、新宿の飲み屋の常連さんたちと現地集合現地解散の旅行も兼ねてまして、5日からバラバラと沖縄入りした方々と共に、レンタカーで美ら海水族館へ。
その前に、道の駅許田へ。
ここで美ら海水族館の入場券を買います。
300円の割引は大きい。
お土産やアイスクリームなども売ってますが、割引券を買ってトイレを済ませたらば、水族館へ向かいます。
ちょうど良いところに止められて、すぐに、こんなものがお出迎え。
海洋博記念公園だった時にも、美ら海水族館になってからもきていますが、周辺がずいぶんホテルなどができていて綺麗になったなと感じました。
海洋博って1975年ですからね。50年近く昔になるんですね。
ジンベイザメのオブジェを横目に入場です。
海の向こうには伊江島が見えます。
ピカチューが出るらしい。
1時間ほどで一通り見て、マンタへの餌やりなんかも見られました。
ジンベイザメもマンタも元気そうで、何よりです。
子供連れが多く、展示もさらに充実していて、やっぱり楽しいですね。
オキチャン劇場が工事中で、イルカラグーンでショーが継続とか、色々長年にわたっての利用で修繕が必要になっているんですね。
8時に那覇を出て、11時近くに到着したので、すでに昼過ぎ。
お腹は空いてきましたが、うまいものが食べたいと今帰仁そばへ。
人気店なので流石に1時間近く待ちました。
その分、ビールがうまいんですけどね。
その後、屋我地島から古宇利島に橋を渡ったのですが、タワーに登る時間はなく。
18時に店を予約していたからです。
r.gnavi.co.jp去年来た時に連れてきてもらって、美味しかったので、沖縄料理を食べたいという東京の皆様の声にお応えした次第です。
5000円のコースで2時間の飲み放題付き。
量を心配していたんですが、もうお腹いっぱい、十分な品数でいただきました。
前菜から、沖縄感全開です。
サラダの野菜もみずみずしい。
沖縄のマグロは美味いよ。これは人数分出るので、とりわけなくて良いんです。
もずくなんかの天ぷら。
フーイリチーは、取り分けてね。
ゴーヤチャンプルーとかソーミンタシヤーも出たけど、写真忘れた。
締めはステーキ。全部で8品。
沖縄を満喫です。
沖縄料理初心者には、コースで良かったかもしれませんね。
こうして沖縄旅最後の夜はふけて行きました。
2024年沖縄行ってきました(その6):東海岸をめぐると沖縄が抱える諸問題が見えてくる
沖縄旅4日目になった6日は、沖縄在住の大学の後輩が1日付き合ってくれました。
まずはホテルの近くにあった地元の方御用達な感じの食堂で朝ごはん。
r.gnavi.co.jp
豆腐チャンプルー定食700円。
ボリューミーですけど、野菜がレタスなので、割とあっさりと食べられます。味噌味がたまらないほど、ご飯に合います。
10時にホテルに迎えにきてくれた後輩の運転で、渋い観光スポットへ。
沖縄に戦前引かれていた県営鉄道に関する記念館です。
駅舎は沖縄戦で破壊されましたが、戦後、残っていた柱と壁を使って改修され、町役場やJAなど他の施設として利用されていたのですが、今は、記念館になっています。
かつての駅舎の名残が、この9本の柱だそうです。
入口では、こんなおじさんがお出迎えしてくれます。
ただ、国道から一本入ったところにあるのでわかりづらい。Googleマップを使っても、ちょっと曲がり角を間違えがちです。
入場料は100円なのですが、そのチケットが硬券の切符になっていて、それに自分で改札パンチを入れることができます。
鉄道好きにはたまらない一手間なのですが、もう、硬券とか知っているのは50代以上ですかね?
広くない記念館ですが、展示の随所にARを活用していて、結構楽しめます。
ARでは、ここ線路が走っていた時の映像が見られます。
那覇から与那原、与那原から糸満、与那原から嘉手納など、複数の路線があった軽便鉄道が今もあれば、現在の那覇の交通渋滞も解消されていたかもしれませんね。
そんな沖縄が抱える問題を考える場所になりました。
予想していたよりずっと楽しい記念館でした。
与那原から東海岸を北上し、中城城跡へ。
琉球王国のグスク及び関連遺産群の一つである中城城跡は、グスクの中でも最も遺構が残っていることで知られています。
当時、貿易が行われていた屋宜の港から2キロほどの高台の上に立っているので、景色は抜群。正面に見えているのは、4日に走った南側の知念半島になります。
グスクの写真はないんですが、実に緻密に組まれた琉球石灰岩による石垣の形状が美しい、さすが「日本最強の城」です。
入場料400円が惜しくない施設です。受付からかなり坂を登るのですが、無料のカートでスタート地点まで運んでくれます。そこからグスク内を見学して、帰りは坂を下りりると元の受付が現れるという、よくできた見学コースでした。
沖縄を代表する世界遺産は、首里城や斎場御嶽などと共に見学の価値ありでした。
まずは、琉球開闢神話に登場するアマミチュー、シルミチューの物語から。
アマミチュー、シルミチューは琉球開闢(かいびゃく)神話で登場する神様。海のかなたの理想郷「ニライカナイ」より女神のアマミキヨ(アマミチュー)と、男神のシネリキヨ(シルミチュー)が舞い降り、琉球を創造したと言われています。
そのアマミチューの墓。
元は島だったのでしょうけど、今は繋がっています。
観光客慣れしているのか、どきもしない猫がいました。
遠くには、隣の島へ渡る橋が見えます。
その向こうの島は、平安座島ですが、沖縄石油備蓄基地のタンクが島の多くを占めています。
戦前までは交易の中継地として知られていました。海中道路は、巨大な石油基地が進出した見返りとしてつくられたもので、島には近代的な石油コンビナートが立ち並び、不思議な感じをただよわせています。
ここにも沖縄の問題というか、現実が見えてきます。
石油備蓄基地には民間と国営があって、ここは民間の備蓄基地になります。
私は、国営の備蓄基地がある苫小牧の出身なので、このタンクの姿は懐かしく感じたりするのですが、多くの方にとっては違和感しかないでしょうね。
そんなことを考えつつ、浜比嘉島をさらにウオッチング。
奥にあるシルミチューの霊場にも参ります。
霊場なので中の写真はありませんが、鳥居のところで撮影したらば、何も加工アプリを使ってないのに、不思議な写真が撮れました。
このお二人の前途を祝福したいものです。
そして、島の中で見つけた古民家食堂でお昼を食べました。
ここでは、沖縄の塩会社の中でも製法が変わっているぬちまーすの工場見学ができます。
沖縄の方言で、命のことを「ぬち」塩のことを「まーす」と言います。生命に必要なミネラルに着目し「命の塩」(ぬちまーす)と名付けました。ぬちまーすの原材料となる海水が取水される宮城島は、沖縄本島と海中道路で結ばれ、タカハナリ(高離)とも呼ばれる標高100m前後の高台の島です。沖は流れが速く圧倒的な透明度を誇ります。その宮城島の太平洋側の海水のみを原料としており、輸入塩、固結防止剤などの添加物は一切使用しておりません。
塩は、海水から窯で煮詰めたり、天日で乾燥させたりして作る(詳しくはこちら)のですが、ここは独自の特許製法です
細かい霧を発生させて塩を作る製塩法を「常温瞬間空中結晶製塩法」といいます。円盤を高速回転させ、海水を細かい霧にし、その霧に温風を当てると、水分だけが瞬時に蒸発し、海水に溶けていた塩分・にがり(塩以外のミネラル)がすべて空中で結晶。真っ白で、海の成分まるごとの塩が雪のように降り積もります。
じっくり見学でき、ガイドもあったりして楽しめます。
お土産も塩を使った商品が多種多様なものがありました。
宮城島の先には、伊計島があるのですが、こちらはリゾートホテルとビーチがあって行き止まり。伊計ビーチは駐車するだけで有料(車一台ではなく、一人400円)なので、確かに綺麗なビーチですが、よく考えて行きましょう。
その跡は、さらに北上して辺野古へ。
ここでも沖縄の現実について考えて、さらに嘉手納へ。
こんな施設ができていました。
まさに目の前に嘉手納基地があります。
よくこんなところに道の駅を作ったものだと思いますが、学習施設にもなっています。
スマホで撮影してもこの近さ。
望遠レンズで撮影している方もいました。
普天間基地は佐喜眞美術館がすぐ近くということで有名ですが、こちらもなかなかの景色ですよ。
その後、沖縄市のコザが寂れているのを見たり、国道330号を通って普天間の横を通り抜けて、那覇市内に戻りました。
西海岸がリゾート満開なのに比べて、東海岸は、ゆったりした時間も感じながら、沖縄の現在抱える問題について考えあるを得ない現実を見せてくれるという、別の顔があって、私は昔から好きなんですが、今回、さらに色々と考えさせられました。
そこを沖縄に移住して10年以上になる後輩と色々話しながらドライブしたので、さらに得る物が多い1日になりました。
2024年沖縄行ってきました(その5):62回目の誕生日の過ごし方
沖縄滞在も3日目。
1月5日は、私の62歳の誕生日でした。
生まれて初めて、誕生日に暖かい1日を過ごしました(北海道出身なので)
誕生日に沖縄にいる喜びを言祝ぎ、「なんみんさん」こと波上宮にお詣り。
当宮の創始年は不詳であるが、遙か昔の人々は洋々たる海の彼方、海神の国(ニライカナイ)の神々に日々風雨順和にして豊漁と豊穣に恵まれた平穏な生活を祈った。
その霊応の地、祈りの聖地の一つがこの波の上の崖端であり、ここを聖地、拝所として日々の祈りを捧げたのに始まる。
仕事始めの会社も多いのか、商売繁盛のご祈祷に参っている会社員の方が多かったですね。普段は台湾系の観光客が多いのですが、この日はその関係はあまり見かけませんでした。
私も普段は引かない御籤を引いてみました。
ありがたいことです。人間、中吉くらいがちょうどいいのです。
この角度から見ると、波の上と言われるのもわかりますよね。
今年は辰年なので、関係しそうな龍柱を見に行きました。
このシンボル像は那覇市と中国福州市が、昭和56年(1981年)の友好都市締結から平成23年(2011年)で30周年を迎え、今後の両市の友好・交流を記念して建設されたものです。像の規模は高さ15m、幅3mで材料は花崗岩(中国福建省産)を使用しています。
若狭に建つこのシンボル像・龍柱は、首里城正殿の龍柱から発展させた形ですが、欄干の替わりに龍が地下に潜って首里から国際通りを経て、若狭へと龍脈を作って出てきているため、台座はありません。
シンボル像の龍柱が海に向けられているのは、海の彼方から豊かさをもたらすと言われている「ニライカナイ」と平和への希求、発展性を表わしています。
首里城に繋がっているとは思いませんでした。
ここからさらに歩いて、泊を目指します。
龍柱から泊へは、泊り大橋の上を歩いていくと便利。
港も見えて景色も良いし、気持ちの良い散歩コースです。
ただ風が強いので帽子だけ気をつけたいですけどね。
朝ごはんを物色しに、泊いゆまちへ。
マグロを中心に近海物がずらりと並んでいます
「いゆ」とは沖縄の方言で魚のことで、「まち」は市場の意味です。施設内の卸業者は24店舗。沖縄らしいカラフルな魚が豊富で、全国発送も可能な店舗もございます。
さらに奥には、マグロ専門の「なはまぐろ市場」もあります。
1階で刺身を買って、2階のイートインコーナーで食べるのも良いのですが、ご飯が欲しい。小樽の市場のようにご飯を買って刺身を乗せてというふうにはなっていないので、格安のマグロをその場で食べるには、自分で色々持っていかないといけません。
その辺の改善の余地はありそうに思いました。
いゆまちの中には海鮮丼の店もあって、そこは観光客で賑わってました。
ちょっとお寿司などを買って食べて、また歩いて宿まで帰りました。
その後は、ゆいレールに乗って、終点の「てだこ浦西」まで行ってみました。
駅名の「てだこ」は沖縄の方言で「太陽の子」という意味で、現在の浦添で生まれたとされる琉球王国の英祖王の神号「英祖日子(えそのてだこ)」にも関連する言葉である
終点ではありますが、この先の延伸はどうなっているんでしょう?
駅前には、パークアンドライド用に大型駐車場がありますが、それ以外は特に何もなく、今後の発展に期待する感じでしょうか。
一方で、駅としての面白さよりも、ゆいレール唯一のトンネルがあるというのが、乗り鉄にはポイントでした。
沖縄モノレールで初となる地下空間を創る!「浦添前田駅~てだこ浦西駅間トンネル」
当社が詳細設計を行った浦添前田駅~てだこ浦西駅間は、高低差が最大40mにもなる一番の難所でした。今も第2次世界大戦時の埋没不発弾が多数残っている地域において、硬い琉球石灰岩の丘を深く掘る大規模な開削工事は困難が予想されていました。これらの諸問題を解決するため、当社はNATM工法※の部分採用を提案しまし た。非開削区間の割合を多くすることで、工期やコストの大幅な縮減と地域環境の保全を実現したのです。地下トンネル区間にご乗車される際は、56%の急勾配とトンネルの内部形状の変化をお楽しみいただきたいと思います。
トンネル内は工法の違いによって、壁が垂直な場所(ボックスカルバート工法)と湾曲している場所(NATM工法)があって、そういう細かいところも楽しみな場所になっています。
さらに美栄橋まで戻って、牧志公設市場に行きました。
昨年、3月19日に建て直された牧志公設市場がオープン。以前とは全く違う明るくて綺麗な場所になっていました。
真ん中が吹き抜けになって、2階、3階部分が回廊状になっています。
雑貨とか衣料などがなくなり、食品だけになったせいか店の数が少なくなったように感じます。
もちろん、伝統の持ち上げシステムも健在。
多くの観光客で賑わっていました。
牧志から国際通りを歩いて実家にお土産を送ったり、東京の友人向けにお土産を買ったりしながらホテルに戻ります。
夕方には東京から友人たちが沖縄に到着するので、空港まで迎えに行き、一緒に夕飯を食べました。
空港で一人0次会を始めていたのは内緒です。
そんな62歳の誕生日でした。
2024年沖縄行ってきました(その4):沖縄南部バイク旅(ニライカナイ橋〜知念岬・斎場御嶽〜垣花樋川〜平和記念公園〜ジョン万次郎上陸の地)
4日は今回の旅の目的の一つであるバイク旅です。
私はホンダのレンタルバイクサービスに加盟していまして、スマホから予約ができます。
今回は、豊崎のホンダドリーム沖縄豊崎で、ハンターカブを予約しました。
これでイーアス沖縄豊崎まで行くと、ホンダドリーム沖縄豊崎はすぐそばです。
片道460円
バスの中で朝ごはん。
イーアスについたら、こんなのやってました。
さて、ホンダドリーム沖縄豊崎でバイクレンタル。手続きは簡単です。今回は、ヘルメットも借りて、8時間で6000円なり。レンタカー並みの値段ではありますが、開放感があります。
本日の相棒はこちら。ハンターカブです。普段乗っているスーパーカブ125(ただしタイ製)とはエンジンが違うし、ブレーキもディスクでABS付きと豪華です。乗りやすいし止まりやすい良いバイクでした。
目指すは、ニライカナイ橋。
県道86号線のつきしろ方面から国道331号線へ下る途中にある、海に向かって大きくカーブを描く全長660m、高さ80mの橋。「ニライカナイ」とは海の向こうにある理想郷という意味。
ここに来るまでも糸満市、南城市などを通って、さとうきび畑の中をバイクで走るのは快適。そして、この絶景に出逢いました。
ここを下って、知念岬。太平洋を一望するポイントです。
その手前にあるのが、世界遺産の一部である斎場御嶽(せいふぁーうたき)。沖縄を代表する聖地です。
20年以上前に来た時は、世界遺産になる前で、普通に入れたのですが、今は道の駅で入場券を買って、そこに車なりバイクなりを止めて歩いていく感じになってました。
歩いていくと、こんな碑があったりして。
石畳を登っていくと、久高島が見えました。
そしてさらに奥に行くと、一番の神域である三庫里(サングーイ)。
昔はこの奥に入れて、久高島が眺められたんですが、今は立ち入り禁止になっていました。
聖域保全、落石危険防止となってますが、やはり観光客が聖域に敬意を持たない写真の撮り方をしたり、この場所ではしゃいだ動画を撮ったりしたんでしょうね。
マナーを守っていつまでも大事な場所を訪問できるようにありたいものです。
次にバイクで北に向かい、訪れたのは、こちら。
この場所がGoogleマップだとなかなか正確に案内してもらえなくて苦労しました。
一般道から100メートルくらい石畳を降りていく感じになります。
周りの木の感じとか水の清らかさとか、やはり神様がいそうな雰囲気です。
清らかな風に癒されて、さらに移動。
沖縄にきたらば訪れたい場所に向かいます。
コメントはないのですが、刻銘者数がいまだに更新されていることに驚きを覚えます。
さらに向かったのは、ジョン万次郎上陸の地。
ここもGoogleマップでは馬、案内されません。
うろうろしていたら、ヤギと出会いました。
Googleマップの設定では糸満市の大度浜海岸にした方が行きやすいです。
大度浜海岸に整備した記念碑は銅像タイプです。アメリカ帰りの万次郎はカウボーイハットをかぶり、ベストやジーンズを着用しています。右手は生誕の地・土佐清水市の方向を指差しており、左手はジョージ・ワシントン伝記とボーディッチ航海術書を携えています。六角柱の台座には、万次郎の物語を伝えるイラスト板を設置しています。銅像、台座ともに1.8メートルで、記念碑は3.6メートルの高さになります。
海岸にも降りて行けます。
この像が立ったのは割と最近。
この頃には、午後2時近くなり、お腹が空いてきましたので、色々検索して南部そばに向かったらば、4日なので年始休み中でした。
さらに検索して、丸三冷やしもの店で沖縄そばセットを食べることになります。
そして、ホンダに戻って早めに返却したのでした。
夜はまたバスで那覇に戻って飲みに行きますが、その話はまた別の回に。