社長さんの知恵袋 第12回(最終回) ソーシャルの彼方にあるもの:2011年3月
(大震災の有った月に考えたこと)
この連載を4月に初めて、今回で12回目になりました。
途中どうなるかと思いましたが(編集長のほうがそう思ったっでしょうけど) なんとか12回目まで欠かさず書くことが出来ました。
この1年で、私の予想をはるかに超えて「ソーシャルメディア」が注目され、 TwitterやFacebookなどのソーシャルサービスの利用者は格段に増えました。 映画の影響もあるかもしれませんが、Facebookが日本でもやっと取り上げられるようになり 一方でmixiやモバゲー、GREEといった日本初のサービスが海外展開を狙うところまできました。
そういう話を書こうかと思っていたところに 3月11日、東北地方太平洋沖地震が発生しました。
多くの方が犠牲となった震災が、またソーシャルメディアを考えるきっかけとなりました。
私自身、地震当日、勤め先から家まで歩いて帰るという経験をしました。
そして、そのとき繋がらない携帯電話にいらつく私の心の支えになったのは、 Twitterでした。 私だけではなく、この地震の時にメールや携帯電話よりもTwitterでつながった感動を 多くの方が、後日ブログやツイート、mixi日記などに書いていました。
不幸な出来事があった中でのクローズアップではありましたが、 Twitterは社会インフラとして認められる所まで来たのです。
この大きな変化があった一年に、こんな連載を書いていた幸運を感じます。
そう、大きな変化。
それはどんなものだったのでしょうか。
急成長するソーシャルサービス
ニールセンの調査を、ループスの斎藤さんがまとめた記事が、ここにあります。 Facebook訪問者一気に600万人=2月ニールセン調査【ループス斉藤徹】@TechWave >利用者でいくと、mixiは1166万人(前月比95%)、Twitterは1282万人(同90%)、いずれも前月比減なのに対して、Facebookは2ヶ月連続大幅増加、ついに603万人(同131%)となった。PC訪問者ベースでは、先行しているmixi、Twitter の5割程度に達したことになる。
この1年で見れば、mixiは横ばいだが、Twitterはピーク時には約2倍に達し、 Facebookにいたっては、4倍になろうかという勢いをみせています。
また、これは私の実感ですが、単に数が増えただけではなく、利用者層が多用になったようです。 ブログなども熱心にやっている先行者グループから一般化したとでもいうのでしょうか。 mixiとツイッターを連携させたり、Facebookとツイッターを連携させる人も増えているように思います。
単にソーシャルサービスを利用するのではなく、楽しむための自分なりの工夫をしている人たちが、専門的な知識のある人たちからマスへと広がっているようなのです。
いわゆる「キャズムを超えた」という奴でしょうか。
TwitterやFacebookの話題を出しても「何それ?」という人よりも、 「聞いたことある」や「やってる」の方が増えてきた感じです。
つまり、この連載を始めた頃よりも、この連載で言いたかったことが必要な人が増えてきたはずなのですが、私にそういう話をしてくれという人はあまり増えていませんね。 世の中に情報が増えているせいでしょう。
でも、ほんとうに必要なのはこれからですので、もう一度、この連載を読み返してみていただけると、少しはお役に立つと思います。
キュレーションかエディティングか
では、連載最初に何を書いていたのでしょうか。
>ツイッターを「140文字のつぶやき」をやり取りするミニブログという新聞などでの紹介でわかった気になり、経験してみないのはとてももったいない。またツイッターは、個人的な楽しみとしてだけではなく、今後の企業や個人のブランディングを左右するツールとなるでしょうし、特に個人商店が多いクリエイティブ系の業種にとって避けて通れないソーシャル・サービスだと思います。
こうしたソーシャルサービスの何が面白いのかを開設していく記事を書くつもりだったわけですね。 もう一本の柱として、電子書籍のことを取り上げるつもりでしたが、 こちらは出版とか書籍という概念が多層になっていて、 出版ビジネスのことなのか出版物という媒体のことなのかを明確にしないと、 説明する余地もなく状況が変化するので、書き様がありませんでした。
もう一つ、自分の仕事をソーシャル・エディターと紹介していました。
>それは、インターネット上に遍在する情報を編集し、コンテンツ(流通する知)やソリューション(問題解決手法)として提供する仕事や役割が重要だと信じるからです。
これは今も変わりませんし、この役割は高まっていると思います。 この点をエディターではなく「キュレーター」というネーミングで語っているのが、 佐々木俊尚さんの新刊「キュレーションの時代」です。
キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)
佐々木 俊尚
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佐々木さんは、この本の中で「視座を提供する人」としてキュレーター、 「提供される視座」をキュレーションと定義し、 「コンテンツが王だった時代は終わった。今やキュレーションが王だ」という言葉を紹介しています。
コンテンツは、その理解すべきコンテクストの中に置かれて始めて意味を持って情報として流通し価値を持つのであって、そのコンテクストを用意するキュレーションが重要な時代になったのだ、ということを提示しているのです。
この考えには、私は概ね賛成ですが、一部は反対です。 コンテクストが重要な時代だとは思いますが、コンテンツの力は、キュレーションを凌駕すると信じたいからです。 これは、アートに置いての理解につながってくる問題なのかもしれません。
私は現代アートが苦手というか、そのコンテクスト依存なところが苦手なので、 どうも納得がいかないのかもしれません。 ただ、理解する文脈としてのコンテクストの共有というのが、消費のキーワードであり、ソーシャル・メディアは、そのコンテクストを共有できるヒトの「つながり」を生むメディアであること。 そして、「つながり」が「情報に新しい価値付け」を行うことには同意します。
そのつながりが、旧来の地縁、血縁、社縁とは異なる「知縁」「趣味縁」「ネット縁」であること。 それは、人間の本来的な多人格性を反映していて、 これまでの「会社人」とか「専業主婦」とか「●●ちゃんのお母さん」とか、 社会的価値と存在意義をラベル化し、一元化する作業から自由になった「個人」の誕生を促し、 いろんなつながりを持つことが、人生にタグを付けるように 人間としてのバランスを取り戻すことにつながるのではないかとも思っています。
こうした情報の編集可能性を「エディティング」という言葉で意味付けたかったのですが、 どうもキュレーションに押されています。
そしてソーシャルの彼方に
冒頭にも書きましたが、未曽有の大震災の中で、ソーシャルメディアが注目を集めました。 日本は(少なくても東日本は)、今後大きく組み替えられる必要があるのかもしれません。
地縁からネット縁へ、血縁から趣味縁へ、社縁から知縁へ。
地域社会に物理的に縛り付けられていた「個」は、ソーシャルという場を得て 新たな「つながり」を媒介にした価値関係の中で「自由」を取り戻すのかもしれません。
地縁、血縁の考え方が日本でも最も強いであろう地域に起きた地震が、 揺らがせたのは地面だけではなく、社会のあり方そのものになるかもしれないと思います。
マスメディアの画一的な震災報道にも、テレビを観るうちに具体的に吐き気がしてきて ネットで情報を取り直し、気を取りなおす人も多かったように思います。
確かに、Twitterはデマも拡散しますが、その修正も早い。
この震災を通じて、ソーシャルメディアの限界も見えてきましたが、 その可能性もまた大きいことを広く知らしめることになりました。 日本頑張れ、負けるな、たちあがれ、といろんなコトを言いますが、 たしかに、日本は、災害からの立ち直りが早い国です。
何かあったときに力を合わせて、あっという間に復興する歴史を繰り返してきました。 第二次世界大戦の敗戦後とか関東大震災後とかを挙げる例も見られますが、 私は、むしろ江戸時代の江戸の火事や地震からの復興の速さと備えの確かさに、 その規範を見たいと思います。
木場に予め屋敷一軒分の木材をストックしておいた商人たちの例を見ると 「危機管理」について、いまの企業はまだまだだなという気もします。
明暦の大火のときに囚人が帰ってくるのを信じて小伝馬町の牢屋敷を開放した石出帯刀吉深の話も「つながり」の一種ではなかったかという気もします。 こうした江戸の知恵を忘れていたので関東大震災の災害は大きかったという意見もあります。
いま、江戸の知恵にも学び、さらに阪神淡路大震災の経験も踏まえて、 ソーシャルメディアを活用した震災情報の収集と提供を行うサイト、 震災生活の知恵をネットで開陳しているサイトもあります。
遠くの親戚より近くの他人といいますが、異なる生活習慣を持つ親戚よりも、似たような価値を持つ他人のほうが親しめるというものです。
震災後の日本は、「つながり」と「知縁、ネット縁」の国として、 新たなスタンダードを世界にもたらすのではないかと期待しています。
話は大きく外れてしまいましたが、ソーシャルサービスの活用と ソーシャルメディアのマスメディアとの違いの把握を中心として書いてきた連載の最終回に まさに、日本社会の大変革のきっかけとなる大震災があり、 そして、その復興の中心にソーシャルがあることに、強く時代を感じます。
ソーシャルの彼方にあるのは、「人のつながり」を中心にした新しい社会、新しい価値体系なのではないか。
そう思っていることを書いて終わりにしたいと思います。