新宿三光町日乗

見かけたもの、出かけた場所、食べた料理などを写真中心に

浴衣姿で谷中散歩(その2)全生庵から笹乃雪まで

浴衣で谷中散歩のお目当ては、実は、全生庵の幽霊画でした。

全生庵は山岡鉄舟居士が徳川幕末・明治維新の際、国事に殉じた人々の菩提を弔うために明治十六年に建立した。尚、居士との因縁で落語家の三遊亭円朝の墓所があり円朝遣愛の幽霊画五十幅 明治大正名筆の観音画百幅が所蔵されている。(全生庵七世現住職 平井正修 記)

 全生庵の紋が葵の紋なのですが、山岡鉄舟が建立したために徳川の紋を使っているのですね。

 

そして、全生庵といえば、円朝まつり

落語家というだけではなく、歌舞伎などにも大きな影響があった「怪談牡丹燈籠」「真景累ヶ淵」「文七元結」などの原作者三遊亭円朝の命日に行われ、もとは圓朝忌といってました。

そもそもは、江戸落語中興の祖である三遊亭圓朝師匠の命日8月11日に、墓所のある谷中・全生庵で「圓朝忌」という法要が行われていました。

毎年、落語協会落語芸術協会が交互に主催して、しめやかに行われておりました。
ご住職による読経、お焼香の後「奉納落語」として代表者が一人、落語を一席申し上げました。
これはお客様に対してではなく、ご本尊様と圓朝師匠に奉納するという意味です。
従って演者は、列席の皆様に背中を向けて(ご本尊様に向かって)しゃべります。
その後、境内で使い古した扇子を供養するお焚き上げが行なわれ、芸人同士が一杯飲んで親交を深めるという、噺家のための行事で、いわば「法事」という色彩の濃いものでした。
 

 (落語協会HPより)

2002年から円朝まつりとして落語協会のファン感謝デーみたいなお祭りになり、落語家が屋台をやったりしてました。そして、2012年からは全生庵では入りきれなくなって、場所も変わったそうです。しかも、今年と来年はないという話。

2002年より開催していた「圓朝まつり」のお客さまの動員数は年々増加の一途をたどり、全生庵の境内では対応しきれない状態になってしまいました。
全生庵のご住職とも協議の結果、10周年を一区切りとして全生庵での開催を断念することに致しました。
そして11年目にあたる2012年下谷観光連盟のご協力をいただき、会場を全生庵の真裏にあります防災広場「初音の森」に移して、「圓朝まつり」の三大柱である「法要」「芸人屋台」「奉納落語会」も模様替えになり、
法要と奉納落語は圓朝の命日にあたる8月11日に「圓朝忌」として復活いたしました。
今年の「圓朝まつり」は芸人屋台と特設ステージのパフォーマンス、そして全生庵・座禅堂にて開催される「全生庵落語会」でお楽しみいただきました。
 
2013・14年は、「初音の森」の工事の為開催を見送り、以降のスケジュールは、未定です。

 

 実は、私達が訪ねた前日の17日の土曜日に落語会をやったようです。

今年の圓朝忌の模様は、こちらの正朝師匠のブログから。

この圓朝ゆかりの幽霊画が公開されているというので、見に来たのでした。

http://instagram.com/p/dJTX-lDMYV/
本日のお目当て// Edited with @KitCamApp #kitcam #vignette #color_vibe #capa

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幽霊画は素晴らしいものでしたが、撮影するわけには行きません。
この時一緒になった人たちが、はとバスで「講釈師といくツアー」なるものの参加者で、全生庵によってから屋形船で怪談を聞くらしい。それも楽しいそうだなと思いますがね。
 
 
さて、心が涼んだところで、お腹が空いてきた我々は、予約してある店へと足を早めました。
 

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豆腐の名店笹乃雪

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個室と相席では料理の値段が違うので、一回の相席で。

まだ5時なので、空いてます。

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軸だの、絵だのがいちいち由緒いわれが凄いのが名店ならでは。

2600円の朝顔というコースを頼みますが、3人が湯豆腐、4人は冷奴。

私はもちろん湯豆腐で以下コースの順に。

白和え(真ん中の白いのが豆腐で、周りの具を混ぜて食べる)

胡麻豆腐

湯豆腐(一人分は豆腐3切れで、これは3人前)

雲水(湯葉巻 豆乳蒸し)

絹揚

うずみ豆腐(お茶漬け)

豆腐アイス

 

ビールやら日本酒やらは別注し、焼き鳥を3人前追加(一人1本見当)。

でも、豆腐だけとはいえ、十分にお腹も満足でした。

(冷奴にすると、湯豆腐の代わりに、冷奴とあんかけ豆腐が出てきます。

このあんかけ豆腐が自慢の品らしいので、そちらにする手もありますね)

創業当時の商いは、あんかけ豆富一品のみでしたが、新しいもの好きの江戸っ子たちは初めて食べる、あんかけの絹ごし豆富に競って何杯も碗を重ねました。
上野宮様がご来店になりました折も大変美味しいと仰せになり、これからは二碗ずつ持って来るようにとお言葉を頂き、以来お客さまには二碗一組でお出しするのが当店の慣わしとなっております。

300年以上続いた名店はさすがだな、と思い直したものでした。

食事後は、鶯谷の駅からJRで新宿へ。いつものお店に寄って解散したのでした。

 

楽しい夏の一日でした。