20年という時間を感じた話
先週土曜日、1年ぶりに清里まで行ってきました。
清里フォトアートミュージアムのヤングポートフォリオ展が開催中ですが、今年度の受賞作家を招いたレセプションとギャラリートークにお招きいただいたからです。
何度かブログでも書いたかもしれませんが、私は前職でこの美術館の立ち上げ時にお手伝いしていまして、折あるたびに訪れています。
開館は平成7年7月7日。つまり、20年がたったというわけです。
若い写真家の作品を購入するヤングポートフォリオも20回目。
この20年間の作品を見てきたわけですが、写真に詳しいわけではない私の目にも、時代の変化とか流れとか、写真と時代の関係とか、そんなものが浮かび上がってくるのが、このヤングポートフォリオだということがわかります。
若い人は時代に敏感だし、写真は、時代を映すものですからね。
そこにある「ひと」「もの」「ふうけい」「できごと」を映すとすれば、時代を反映するのは当然ですし、抽象的な作品でも、その抽象性というか、作家性は、やはり時代を反映しているものです。
更に、ヤングポートフォリーの国際性がましていて、世界中から写真が送られてくること、その購入作家の国籍もまた20年という時間の中で、変化していることを感じます。
日本人が相対的に少なくなり、韓国や中国が台頭し、更にバングラデシュやウクライナからの作品も購入されました。台湾で活動する写真家の写真を通した社会活動を表彰し、応援するのが日本の写真美術館であるという事実。
写真が映す時代が、まさに動いている場所にいる若者の写真に強さを感じ、日本人作家の感性の鋭さと、儚さ、脆さ、繊細さを感じる20年でもありました。
さらにいえば、清里という場所もまた、時代を反映していることを、この20年の間に感じてきました。
昔の栄華を知らない人にも、駅前に建てばその寂れた感は伝わるでしょうし、一方で、地図を見れば美術館が多く点在し、しっかり活動している牧場や施設があることもわかります。
清里を写している作家がいるかは知りませんが、この20年撮影し続けていればひとつの作品になっただろうなと思います。実際、清里フォトアートミュージアムに至る道をタクシーで走れば、この20年間という時間の流れの浮き沈みを感じずにはいられません。
私自身は仕事も変わり、すでに係ることもなくなった美術館ではありますし、そこにある「時間」が嫌で、一時期足が遠のいていました。
でも、ココ数年、毎年、このレセプションには顔を出すようにしています。そこに行けば、20年前から変わらぬ情熱と知性で館を守る顔なじみの学芸員さんがいて、素敵な展覧会がある、素晴らしい場所がある。
年に1度になってしまっていますが、私にとっては、やはり、行かずにはいられない場所なのです。