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【読書】笑の影の悲しみなんて単純な話じゃない:昭和芸人7人の最後

 ある方から借りて読んだのですが、久しぶりにご紹介したい本。

昭和芸人 七人の最期 (文春文庫)

昭和芸人 七人の最期 (文春文庫)

 

 最近は、目が弱くなって長い本が読めないのですが、これは7人の芸人の話なので、コマ切れでも読めるし、電車の中で読んでしまいました。

著者の笹山敬輔さんは、なんと筑波大学大学院出身の演芸評論家。大きく取れば、後輩です。

1979年生まれだから、私が大学の時に赤ちゃんだったんですけどね。

文庫本書き下ろしの本書は、7人の戦前/戦中/戦後の有名芸人の最後の一年に迫る構成。生い立ちと頂点、落ちていくところ、そして、最後の一年。

そのなかで、一人一人の時代感を紹介しつつ、芸能を取り巻くある分野の同時代を紹介して行くという、凝っていて、ある種贅沢なウンチクに満ちた本でした。

 

昭和芸人 七人の最期 (文春文庫)

昭和芸人 七人の最期 (文春文庫)

 

 

プロローグに2014年のダウンタウンというコントを紹介し、著者にとって同時代人であり、お笑いの天才であるダウンタウンの引退について書き始める。

芸人の晩年というのを意識するのは、最近の笑が昔なら晩年に相当する年齢のビッグ3(タモリ、たけし、さんま)がまだ日本のショービジネスを牛耳り、その後に続く、とんねるずウッチャンナンチャンダウンタウンが50を超えたことに、彼らの晩年/引退がイメージしにくい中で、昔の芸人の晩年を知ることで「慣れておきたい」という意図からだという。

 

取り上げられた7人は、エノケン、ロッパ、エンタツ石田一松、シミキン、金語楼トニー谷

いずれも昭和のある時代を代表する「喜劇人」だ。

喜劇人にカッコをつけたのは、筆者が彼らを「敬意を持ってお笑い芸人」とくくっていることへの違和感からである。

私から見れば、彼らは「喜劇人」だ。でも、今やこの言葉は人口に膾炙したものとは言えない。それでも、最後に伊東四朗にインタビューしていることを見ると、筆者もさらに編集者も、この本は「7人の芸人」と言いつつ、「7人の喜劇人」の本だとわかっているのではないかと思う。

 

この本の秀逸だと私が思うのは、その構成にある。

エノケンを紹介しつつ、ジャズとレビュー。ロッパで声色を声帯模写つまりものまねにした元祖であると解きつつ、ストリップの戦後史に導く。エンタツは当然漫才の歴史。石田一松でタレント議員と演歌の事始め。シミキンで浅草の栄枯盛衰。金語楼でテレビ白痴論。トニー谷で植民地日本と昭和の終わり。

こうした、本人にとどまらない時代背景の解説が実にうまい。

そして、時代というのが喜劇人にとって、どうしようもない枠組みであることをも証明していくのである。

芸人には必ず得意技があり、時代と彼がフィットしているときは、その得意技のスピードが時代をリードしているときであるように思う。しかし、スピード感は加速するものであり、その時代の加速に気がつかないと、芸人はあっという間に取り残される。

そして、この7人はいずれも、誰にもないような得意技があり、結局本人はそれにすがる。時代のスピードに追い越されても同じ得意技で戦おうとする。もしくは、本人が嫌がっても、世間は残酷なまでに、かつて見た得意技を求める。そして、本人の心か体が壊れる。

読後は、実に切ない。寂寥感が漂う。

そして、今テレビで見ている芸人の最後に想いを馳せる。

でも、私には、どうもこの時代の芸人ほどの寂寥感が、今の芸人にはないように思う。

それは、最初から「笑わせているのではなく笑われている」芸人が多いからかもしれない。

そんなことを考えさせてくれる、この本はオススメです。

 

昭和芸人 七人の最期 (文春文庫)

昭和芸人 七人の最期 (文春文庫)

 

 そして、同じ筆者の、この本が気になっています。