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新宿三光町日乗

見かけたもの、出かけた場所、食べた料理などを写真中心に

【記臆】東横線とY君の家の話

日常生活

今、新宿に住んでいる私が毎日乗っている副都心線は、渋谷で東急東横線とつながっている。

私にとって、東急東横線は、渋谷という町そのものだった。

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その東横線を初めて「見た」のは、1980年のことだ。

その年、大学に合格し、北海道から出てきた私は、何故か東京は渋谷で生まれ育った同級生のY君と仲良くなった。

ゴールデンウィークになり、バイトの合間に東京のY君の家に遊びに行くことになった。

初めての渋谷に、緊張して渋谷駅南口で待っていた私の前に、彼はジャージ姿でツッカケを履いて、どてらを羽織って現れた。都会のど真ん中に、そんな格好で来たことに驚く私に、彼は、地元だからと、事も無げに言った。

何とも普通のことだと言わんばかりだった。

 

駅前の歩道橋を渡り、警察署を回り込み、金王八幡宮の横を抜けて坂を登る。

渋谷は、名前通り、駅前が谷の一番底になっていて、周りはすべて坂だ。

山手通りと東横線の間を流れる渋谷川が作った河岸段丘の南西斜面の一角にY君の家は立っていた。

空襲に遭わなかったという一角は、細い路地だらけで、駅から10分ほどしか歩かないのに、駅前とは景色が一変する。そんな中に、Y君の家はあった。

 

二階にある彼の部屋に行くために階段を上がると、目の前が急に開けた。

南西斜面に立つので、1階は前の家がかかって気がつかなかったが、2階からは遠くまで見渡せるのだ。

今ほど高い建物が建っていなかった頃は、富士山も見えたと、後でお父さんから聞かされた。

それほど景色の良い場所だったのだそうだ。

 

ベランダの向こうに開けた景色の中、やや高い場所を電車が通って行くのが見えた。

今日乗ってきた山手線ではない。

あの電車はなんだと聞くと、Y君は素っ気無く、いつもそこにあるものに対するように、つまらないことを聞くと言うように、東横線だと言った。

それが、私が初めて東横線を「見た」経験だった。

 

それから数年で、山手通り沿いにビルが建ち、Y君の家から東横線は見えなくなった。

しかし、私には、渋谷といえば、1980年にY君の家から見た東横線なのである。

 

今週末、Y君は、渋谷のその家を引っ越すことになった。

古く広いその家は、お母さんと二人で住むにはあまりに不合理な代物になってしまったのだった。

 

そう、渋谷川の向こう側の河岸段丘の裾で、代官山に向かうカーブの手前を、不自然なほどゆっくりと走っていた東横線も、現代の交通機関として不合理な代物になっていた。

 

地下に潜った東横線は、当然、もう彼の家から見えることはない。

そして、私が東横線を見た彼の家も無くなってしまう。

不合理なものが消えていくということなのかもしれない。

 

東横線が消えて、多くの人が嘆いていることだろう。渋谷の記憶が消えてしまったと。

しかし私には、二重の意味で渋谷の記憶が消えてしまうことになる。

 

もう一度、Y君の家から東横線を見たかった。

殊更にそう思う。

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