【大人の遠足】ワインツーリズムやまなし2017に行ってきた(番外編)甲府観光
明けて二日目なのですが、この日は現地集合でそれぞれ行動することに。
そこで、私は、同宿のT先輩と別れて甲府観光に行きました。
宿泊したのは、このホテル。
甲府の中央部、昔の繁華街だったあたりの近くなので便利です。
室内もビジネスホテルとしては十分な広さ。部屋着も無料で貸してくれましたし、アメニティもありました。ヘアドライヤーも部屋にありました。
料金6720円ですから、十分じゃないでしょうか。
ホテルを出てすぐに、こういうアーケードのある商店街があります。
御多分に洩れずシャッターが下りている店が多く、昔は中心街だったのでしょうけど、今は駅前なのか、郊外なのか、移っちゃったんでしょうね。
そんな通りを抜けて、市役所の横、舞鶴通りを北上し向かったのは、こちら。
甲府にあっても、武田家の城ではなく徳川家が治めていたと思っていたのですが、築城は豊臣政権下だったんですね。
もちろん、武田の残党を睨みつつ、山梨の金山を支配下に置くためと思われます。
明治維新後は廃城となり、北側に中央線が通って削られたり、あまり良い扱いではなかったようです。大正時代に払い下げを受けて県有地になってから修復したんですね。
大正時代に甲府で歴史が見直されるのは、大正天皇の即位に際して、武田信玄が従三位を受けるからじゃないかと思うんですが、どうなんでしょう?
・大正三年の天皇陛下 即位式典に際し、国の為に功績のあった人物で、まだ表彰されていなかった人物に歴史をさかのぼり贈位の恩典が与えられる事になりました。戦国武将として甲斐国の治水、土木、税法、産業の振興と民政に偉大な功績が有りました今は亡き信玄公に対しまして従三位を贈位すると宮内省より申し出がありました。
この話は武田神社でまた考えます。
さて、甲府城の天守台まで登ると、いい天気で富士山もくっきり。
ここから甲府駅に出てバスで石和方面に向かおうかと思ったんですが、前から気になっていた武田神社に行くことにしました。
武田神社は甲府駅の北側から一直線に伸びた道路をひたすら登ります。
直線で2キロくらいあるでしょうか? この道は武田通りと言いますし、住所も甲府市武田だったりして、道の途中は武田だらけです。
なんと信玄公が祀られているんですね。
建造は最近というか大正です。
大正4年、大正天皇のご即位に際し信玄公墓前に従三位追贈(じゅさんみついぞう)が奉告されたのを契機に、ご遺徳を慕う県民に武田神社ご創建の気運が沸き上がり、官民一体となった「武田神社奉建会」が設立され、浄財によって大正8年には社殿が竣工、4月12日のご命日には初の例祭が奉仕されました。
やはり先ほど甲府城で考えていた通り、従三位の追贈がきっかけなんですね。
武田神社は信玄公の父君信虎公が永正16年(1519年)に石和より移した躑躅ヶ崎館跡に鎮座致しております。この館には信虎・信玄・勝頼の三代が60年余りにわたって居住し、昭和13年には国の史跡として指定されました。
今でこそ神社ですが、元は武田の躑躅ヶ崎館。さらに言えば、城跡です。
堀が囲み、土塁が守る様は、この場所が城として建てられたことが見て取れます。
しかし、現代では、そんな物騒な話よりも七五三です。
15日が間近な日曜日ですから、多くのご家族が七五三参り、またお七夜参りに訪れていました。
境内はいろいろなスポットがあるのですが、有名なのは姫の井戸。水を汲んで行く人もいるようです。
あと御朱印が有料なのって、よくあるんでしょうか?
最近多いですよね御朱印帳持っている人。
でも神社にお手間をかけるわけですから有料でもいいような気がします。
武田神社を一周して、さらに歩きます。
信玄公の墓があるらしいので、護国神社の前を通って、信玄の正室が眠る円光院に向かって歩きます。
武田信玄公墓所/富士の国やまなし観光ネット 山梨県公式観光情報
住宅街の中に突然現れます。
元は、信玄がなくなった時に3年伏せろと言われ、その間臣下の屋敷に遺骸を隠しておいたので、その屋敷跡にあった石棺があった場所のようです。
私が行った時に、武田神社から神職が来て何か法要のようなことを営んでおられたので遠巻きにして帰りました。
さて、このあとどうしようかと思いつつ歩いていたんですが、いっそ善光寺まで歩こうと思い立ちます。善光寺に行けば、ワインツーリズムの停留所があって、次に行くワイナリー行きのバスに乗れますし。
ということで、住宅街を歩いて下り(武田神社から駅に向かって坂なので、帰りは下り)、大通りに出たところで左に曲がって、トンネルを目指します。
歩いて渡れるか気になってましたが、十分ですね。
トンネルは、まあ、うるさかったですが危なくはなかったです。
トンネルをくぐってしばらく歩くと、ようやく見えて来ました。
地場産業センターのかいてらすの角を曲がります。
善光寺越しに富士山も見えます。ありがたい、ありがたい。
正面に回ります。
いやあ大きい。ご立派という言葉しか出ませんでした。
もともと信玄が、川中島の戦いで謙信と争っていた時に、長野の善光寺のあたりが戦場になって、焼いてしまっては申し訳ないから、こちらに移したという善光寺。
それにしても、今見ると本堂内に、ことごとく三つ葉葵が目につくように彫られているんですよね。江戸時代に再建しているからでもありますが、それだけ、徳川が武田の威光を消して徳川家の威光を示したかったのだろうと思います。
バスが来るまで時間があまりなかったので、大急ぎでお参りして、バスに乗りシャトー酒折に向かいました。
朝からここまで歩いた歩数は、以下の通りでした。