コンニチレイワ。
元号が変わりましたね。
そのことはまあどうでもいいんですけど、せっかくの10連休なので土曜日にお出かけしてきました。
妻と行ったのは、目黒。
目黒駅から行人坂を下りて、目黒雅叙園へ。
行人坂という名称は、湯殿山の行者(法印大海)が大日如来堂(現大円寺)を建て修行を始めたところ、次第に多くの行者が集まり住むようになったのでつけられたという。
また、この坂は「振袖火事」「車町火事」と並ぶ江戸三大火のひとつ(行人坂火事)とも関連して知られている。行人坂火事は明和9年(1772年)2月、行人坂の大円寺から出た火が延焼し、3日間も燃え続けたというものである。明和9年の出来事であったので、だれいうとなく「めいわくの年」だと言い出したので、幕府は年号を「安永」と改めたといわれている。
そう元号と言うのは、こう言う時に変えたものだったのですね。
それに比べると、今回の改元は、全く平和なもので、何よりです。
この坂の下には、今は橋の名にしか残っていない「太鼓橋」があったことで知られています。
歌川広重が1857年に描いた太鼓橋。左手には急勾配が描かれている
この行人坂を下りたところにある目黒雅叙園内の百段階段で開催中のイベントに行ってきたのでした。
百段階段は、東京都指定有形文化財の名建築。
「百段階段」とは通称で、ホテル雅叙園東京の前身である目黒雅叙園3号館にあたり、1935(昭和10)年に建てられた当館で現存する唯一の木造建築です。 食事を楽しみ、晴れやかな宴が行われた7部屋を、99段の長い階段廊下が繋いでいます。 階段は厚さ約5cmのケヤキ板を使用。 階段で結ばれた各部屋はそれぞれ趣向が異なり、各部屋の天井や欄間には、当時屈指の著名な画家達が創り上げた美の世界が描かれています。
一部屋づつが見事な彫刻や絵画で装われているのです。
これは一見の価値ありという建築です。
階段の上からだと全くわかりませんが、そこは実物を見に行っていただきたいです。
その美しい部屋ごとに趣向が凝らされた猫の世界が展開されています。
フェルトや石などの素材の違いもあり、ストーリーやキャラクターの面白さも様々で、実に面白く、なかなか楽しめました。
もちろん雅叙園自体も優雅な建築の宝庫。
そこから今はただの橋になった太鼓橋をとおって、次のポイントへ。
その前に通りかかった蟠竜寺でイベント開催中。
色々イベントを開催中だったのですが、蟠竜寺も五百羅漢も有名だけど、あまりよらない場所なので、見られてよかった。
やはり良いお寺さんでした。
そして、さらに歩いて本日のもう一つのポイント。
やはり立派な寺社でした。
そして、目黒不動のHPがなかなか衝撃的でした。
もう昭和感たっぷりです。
インターネット老人会的には、ツボにはまりまくりです。
それはそれとして、三大不動って色々ありますよね。
ということらしいです
それにしても、境内には多くの神様がいらして、本当にテーマパークのようでした。
この鳥居は、山王鳥居。珍しいですよね。
まあ境内の様子は、こちらで。
目黒不動に感動した私たちは、お茶でもと歩いたのですが、ちょっと遠かった。
目黒不動の横は坂で、駒沢通りに向けて登ってるんですよね。
さらに駒沢通り沿いを、元競馬場前あたりから目黒消防署まで歩きます。
そこで見えてくるのが、こちら。
中で揚げまんじゅうを食べることもできます。
私は出来立ての揚げ餅にタレをかけたものを。
美味しゅうございました。
ここから目黒駅までは歩くのは無理ということでバスに乗って。
権之助坂を登るのは辛かっただろうと思います。
東京は坂が多いということを改めて思い知りました。
これで大体1万歩でした。