【旅行】松江がちょうどよい大きさで楽しすぎる編:鳥取とか島根とかその辺りに行って来ました(その4)
旅の2日目の午前中は足立美術館(その2参照)から神社巡り(その3参照)でしたが、午後は松江へ向かいました。
結論からいうと、松江というのは、いい街ですね。
お城と堀と湖があり、ちょうど良い大きさで過ごしやすそうです。
ただ、冬の寒さは耐え難いと小泉八雲も書いている(参照)そうですから、まさに絶好の時期に訪れたとも言えそうです。
松江城の側で止めようと思ったのですが大手前駐車場がいっぱいで、やや遠くなりますが、地ビール館の向かいにある城山西駐車場(有料)に止めました。
この駐車場は、いくつかの観光ポイントで駐車券に判子を押してもらえば半額になります。3時間まで500円なので、250円、3時間以上だと800円なので400円になります。
駐車場に近いスポットから順に見ていきます。
まずは、小泉八雲記念館。
ここで入場券を買うならば、「共通入場券」を買うとお得です。
松江城、小泉八雲旧居、記念館、武家屋敷と、4箇所の入場料が2割引きでのセット価格(1450円→1160円)になる上、堀川遊覧船が団体料金扱い(1200円→1000円)になったり、松江堀川・地ビール館での物販・飲食が一割引きになります。
記念館は、まあありきたりな感じではありましたが、隣の
が素敵な日本家屋でした。
実に品が良く、こじんまりとしているけれどちょうどよい感じなのです。
当時の、小泉八雲とセツの暮らしが偲ばれるような家でした。
それにしても、小泉八雲が松江と出雲について数多く記しているので、彼は松江に長く住んでいたのだと思っていましたが、記念館で見ると実際には1年3ヶ月の滞在だったのは驚きました。
セツとの出会いも含め、印象的だったのは間違いありませんが、それだけ冬の暮らしが厳しかったのでしょう。元々ギリシャ生まれだし、この後熊本へ行くのも寒さから逃れたかったのかもしれません。
この後見た武家屋敷は、期待したほどではありませんでしたが、しっかりしたものでした。
現在のこの屋敷は、1733年(享保18年)の大火で焼失後再建されたもので、約270年前の古い姿のままよく保存され、松江市の文化財に指定されています。
この辺りは、お堀端の植栽がキレイです。
おなかがすいたので出雲そばを食べに入ります。
武家屋敷を改装した店で、奥に通されたらばお庭が立派でした。
10人ほど並んでましたが、ものが蕎麦なので回転がよく、すぐに座れました。
私は、割子そば。妻は鴨南蛮そばにしました。
五段なのは、4段割子+一段は薬味が入っているから。
四色割子そば 1040円
汁をかけて、一段ずつ食べていきます。
出雲そばは、もともと薬味だけで3段で1人前の割子が普通です。
最近は、こういう各段に変化をつけるのが多いようです。
鴨南蛮そばは、汁は薄味ですが鴨出汁がしっかりしていて実に美味しいものでした。
お腹もいっぱいになったので、お堀端から城山稲荷を回りあm杖上の天守閣に向かいます。
お堀を船で回るのも一興だと思います。
1日乗船券で1,200円。途中降りることもできるのでゆっくり見て歩くには最適かもしれません。
途中でみたらし団子を買い食い。
だんごや萌音 松江店のご案内 - 餅や団子の「いけがみ」と「だんごや萌音」(米子市、松江市)
焼きたての団子を食べながらそぞろ歩きも楽しいものです。
さて場内に入り、稲荷神社好きの妻が向かったのが城山稲荷神社。
お社の周りには狐がいっぱい祀られてますが、小泉八雲が見た頃は数万とも言われますが、今は2000体ほどらしい。
この本殿を囲む塀をよく見ると、隅で見張っているお狐さんが。
崇高にも美麗なおキツネ様でした。
護国神社の前を通って、馬洗池の脇を抜けて、坂を登ると天守閣が現れます。
天守閣は5層になっていて、最上階まで登れます。
中には歴史展示や武具の展示、ジオラマなどが各層に配されていますが、階段は急で良い運動になります。
降りてきたらば、忍者や侍の格好をした若者が写真に収まっていました。観光用の人たちのようです。
1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いで功績を納めた堀尾吉晴、忠氏親子が(静岡県)浜松城から出雲・隠岐24万石を与えられ入城し、1607年から5年間をかけ完成させたお城です。堀尾3代(33年間)の後、京極1代(3年間)、松平10代(230年間)の居城となり、城下町松江のシンボルとなっています。最上階からの眺めはとても綺麗です。
約30分で見学できます。
この天守閣が現存するのも明治時代に払い下げになるところを買い戻した人たちが居たからだとのこと。
明治8年広島鎮台は、松江城諸建造物と三の丸御殿を民間に払い下げることとし、ことごとく取り壊された。
天守閣は180円で落札されたが、出東村の勝部本右衛門、高城権八らにより資金を調達、買い戻され取り壊しは中止、保存されることとなった。
※当時米一俵が3円弱といわれた。
地方では民間に払い下げられたものもありますからね。
「松江のシンボル松江城は、全国で現存する12天守のうちのひとつで、国指定の重要文化財です。
唯一の正統天守閣ともいわれております。誇れる松江城、どうぞお楽しみください。」
野面積みの石垣や黒板の壁など、華美な所のない実直な質実剛健な城だなと思いました。
洋館の興雲閣が改修中だったのがちょっと残念でしたね。
1903(明治36)年、松江市が明治天皇の行幸を願って松江市が建てた白亜の木造洋館。(当時の金額で13,489円)
明治天皇の行幸は実現しませんでしたが、1907(明治40)年5月当時の皇太子(後の大正天皇)の御宿泊所として利用されました。
数少ない明治建築で県指定文化財です。
1973(昭和48)年からは松江郷土館として、松江の歴史・民俗資料・民芸品などを収集・展示してきました。
松江城は姫路城や松本城のような華麗さはありませんが、松江という街と同様、程よい城でした。
見て歩くにも快適な城とその周辺でした。