2024年沖縄行ってきました(その5):62回目の誕生日の過ごし方
沖縄滞在も3日目。
1月5日は、私の62歳の誕生日でした。
生まれて初めて、誕生日に暖かい1日を過ごしました(北海道出身なので)
誕生日に沖縄にいる喜びを言祝ぎ、「なんみんさん」こと波上宮にお詣り。
当宮の創始年は不詳であるが、遙か昔の人々は洋々たる海の彼方、海神の国(ニライカナイ)の神々に日々風雨順和にして豊漁と豊穣に恵まれた平穏な生活を祈った。
その霊応の地、祈りの聖地の一つがこの波の上の崖端であり、ここを聖地、拝所として日々の祈りを捧げたのに始まる。
仕事始めの会社も多いのか、商売繁盛のご祈祷に参っている会社員の方が多かったですね。普段は台湾系の観光客が多いのですが、この日はその関係はあまり見かけませんでした。
私も普段は引かない御籤を引いてみました。
ありがたいことです。人間、中吉くらいがちょうどいいのです。
この角度から見ると、波の上と言われるのもわかりますよね。
今年は辰年なので、関係しそうな龍柱を見に行きました。
このシンボル像は那覇市と中国福州市が、昭和56年(1981年)の友好都市締結から平成23年(2011年)で30周年を迎え、今後の両市の友好・交流を記念して建設されたものです。像の規模は高さ15m、幅3mで材料は花崗岩(中国福建省産)を使用しています。
若狭に建つこのシンボル像・龍柱は、首里城正殿の龍柱から発展させた形ですが、欄干の替わりに龍が地下に潜って首里から国際通りを経て、若狭へと龍脈を作って出てきているため、台座はありません。
シンボル像の龍柱が海に向けられているのは、海の彼方から豊かさをもたらすと言われている「ニライカナイ」と平和への希求、発展性を表わしています。
首里城に繋がっているとは思いませんでした。
ここからさらに歩いて、泊を目指します。
龍柱から泊へは、泊り大橋の上を歩いていくと便利。
港も見えて景色も良いし、気持ちの良い散歩コースです。
ただ風が強いので帽子だけ気をつけたいですけどね。
朝ごはんを物色しに、泊いゆまちへ。
マグロを中心に近海物がずらりと並んでいます
「いゆ」とは沖縄の方言で魚のことで、「まち」は市場の意味です。施設内の卸業者は24店舗。沖縄らしいカラフルな魚が豊富で、全国発送も可能な店舗もございます。
さらに奥には、マグロ専門の「なはまぐろ市場」もあります。
1階で刺身を買って、2階のイートインコーナーで食べるのも良いのですが、ご飯が欲しい。小樽の市場のようにご飯を買って刺身を乗せてというふうにはなっていないので、格安のマグロをその場で食べるには、自分で色々持っていかないといけません。
その辺の改善の余地はありそうに思いました。
いゆまちの中には海鮮丼の店もあって、そこは観光客で賑わってました。
ちょっとお寿司などを買って食べて、また歩いて宿まで帰りました。
その後は、ゆいレールに乗って、終点の「てだこ浦西」まで行ってみました。
駅名の「てだこ」は沖縄の方言で「太陽の子」という意味で、現在の浦添で生まれたとされる琉球王国の英祖王の神号「英祖日子(えそのてだこ)」にも関連する言葉である
終点ではありますが、この先の延伸はどうなっているんでしょう?
駅前には、パークアンドライド用に大型駐車場がありますが、それ以外は特に何もなく、今後の発展に期待する感じでしょうか。
一方で、駅としての面白さよりも、ゆいレール唯一のトンネルがあるというのが、乗り鉄にはポイントでした。
沖縄モノレールで初となる地下空間を創る!「浦添前田駅~てだこ浦西駅間トンネル」
当社が詳細設計を行った浦添前田駅~てだこ浦西駅間は、高低差が最大40mにもなる一番の難所でした。今も第2次世界大戦時の埋没不発弾が多数残っている地域において、硬い琉球石灰岩の丘を深く掘る大規模な開削工事は困難が予想されていました。これらの諸問題を解決するため、当社はNATM工法※の部分採用を提案しまし た。非開削区間の割合を多くすることで、工期やコストの大幅な縮減と地域環境の保全を実現したのです。地下トンネル区間にご乗車される際は、56%の急勾配とトンネルの内部形状の変化をお楽しみいただきたいと思います。
トンネル内は工法の違いによって、壁が垂直な場所(ボックスカルバート工法)と湾曲している場所(NATM工法)があって、そういう細かいところも楽しみな場所になっています。
さらに美栄橋まで戻って、牧志公設市場に行きました。
昨年、3月19日に建て直された牧志公設市場がオープン。以前とは全く違う明るくて綺麗な場所になっていました。
真ん中が吹き抜けになって、2階、3階部分が回廊状になっています。
雑貨とか衣料などがなくなり、食品だけになったせいか店の数が少なくなったように感じます。
もちろん、伝統の持ち上げシステムも健在。
多くの観光客で賑わっていました。
牧志から国際通りを歩いて実家にお土産を送ったり、東京の友人向けにお土産を買ったりしながらホテルに戻ります。
夕方には東京から友人たちが沖縄に到着するので、空港まで迎えに行き、一緒に夕飯を食べました。
空港で一人0次会を始めていたのは内緒です。
そんな62歳の誕生日でした。