新宿三光町日乗

見かけたもの、出かけた場所、食べた料理などを写真中心に

社長さんの知恵袋第3回 ソーシャル・メディアの背景:2010年6月

第1回:昔書いた連載が消えてしまうのがもったいないのでコピペしてみる。

社長さんの知恵袋 第2回 ツイッターで何ができるか:2010年5月

前回までの二回では、ソーシャル・メディアが流行ってきた、特にツイッターが使えるといわれている。だから、ツイッターをまず体験してみて、ソーシャル・メディアの世界に飛び込んでみよう。

どうも、このソーシャル・メディアの世界はこれまでと違うことが出来そうだ。

次に、ソーシャルの世界では正直に振る舞い「信用される誰かになる」ことでニッチだけど濃い共感を得ることができ、パーソナルブランディングを構築することができる。 そのキーワードは「コミュニティ」だ、と言うような話をしました。

でも、二回書いてみて反省したのですが、どうも、いろいろなことをお話したくて、先を急いだようです。 読者の中には、なんだか、雲をつかむような話ばかりだった方もいるかも知れません。 ごめんなさい。 そこで今回は、もう少し手前の話にさかのぼってみたいと思います。

 

アナログ時代の仕事術

 

なぜ、ソーシャル・メディアなのかを考えるときに、改めて、社会環境の変化、なかでも通信環境とコンピュータ環境の変化について考えざるをえません。

その時に私は幸運だなと思うのは、私たちの世代(1980年代入社)はアナログとデジタルの両方を知っていることです。

私の仕事史を例にとりますが、私が1984年に大学を卒業し就職したときには、その会社にコンピュータは1台もありませんでした。 たしかに社員20人ほどの会社ではありましたが、まだ主要な業務にコンピュータを使う必要がなかったからです。

編集・デザインの会社でも、原稿は手書きで一部ワープロが導入され始めていた程度でした。経理事務では電卓が駆使され、書類は手書きでした。

携帯電話も有りませんでした。自動車電話のサービスは始まっていましたが、肩掛け式の持ち出せる電話がNTTから発売されるのは1985年のことです。その後、ポケベルで出たっきりの先輩を捕まえることができるようになり便利なのかなんなのかと考えた頃にはまだ社員に携帯電話を持たせることも有りませんでした。

1985年に会社の新規業務でパソコンを扱うようになり、当時最新の16ビット機にデータベースソフトで作った経理システムを同梱して販売することになったのに、社員のなかで誰も「ベーシック」というプログラム言語があることも知らなかった時代です。

このころは、個人と個人は会社や学校といった所属組織を通して知りあうのが普通でした。飲み屋で常連になった人でも、外で改めて会うことがないのが常ですし、地域活動や子どもを通して育児上の知り合いというのがあるくらいでしょう。そうした組織を超えた人脈を求めて「異業種交流会」というのが80年代後半に流行しましたが、幾つかの組織を例外として、バブル崩壊とともに消えました。

このころは、個人と個人が直接連絡をとる、情報交換することも重要でしたが簡単ではありませんでした。家に一台の固定電話では、たとえ子機があっても、今ほど自由に電話は出来ませんでしたし、遊びのために友人を捕まえるには、彼の会社に仕事の振りをして電話をするしか有りませんでした。恋人同士が、相手の会社に連絡を入れる際に符号を決めて、仕事の打ち合わせのようにデートの待ち合わせを決めていた時代です。

 

デジタル化する90年代

 

ところが、それから10年ほどであっという間にデザイン作業がデジタル化されて行きます。 アナログど真ん中の作業を下積みで学んでいたのが、あっという間にデジタル化が進み、私たちの世代はいち早くデジタル対応して若い内から会社の中で発言力を身につけていきました。

DTPの進展に対応し、デジタルを売りに独立した友人も多かった。

デザインの世界は1ミリの間に10本線を引く「匠」の時代から、モニタに向かってソフトを操る時代に大きく変わりました。

そして、同時期にポケベルからPHS、そして携帯電話の個人利用が始まり、さらにデジタル化と携帯電話の普及は加速します。 1995年に650万台だった携帯電話は、98年に2000万台、2000年に5000万台を超え、固定電話を上回るなど急速に普及します。

デジタル化は、仕事のやり方だけではなく、上司と部下の関係も変えました。

上司がすべて知っていて、部下はそれを学ぶものだったのが、検索すれば情報が手に入る時代になり、上司が知らないことを部下が知っていたり、デジタル機器が苦手な上司は部下の指導を仰がざるをえなかったり、無条件で上司が「偉い」というムードはなくなります。

卓上のディスプレイが、向かいの席の人とのコミュニケーションの妨げになったり、パソコンを見ていると仕事をしているように見えるので、上司の査定も甘くなります。

また、作業フローのデジタル化に対応出来ない優秀な「職人」が、マックを使えるだけの駆け出しより仕事がなかったり、小さな仕事に追いやられたり……。

決していいことばかりでは有りませんが、変わったことだけは間違いないですし、この流れは元には戻りません。

一方で、携帯電話の普及はコミュニケーションのあり方を変え、人と人を直接つないでしまうようになりました。会社であれば、固定電話にかかってきた電話に出ない振りも出来ますが、携帯電話にかかってきて居留守を使うのは難しい。移動中も連絡が取れるので、営業途中にサボるのも難しくなり、上司が立ち寄る喫茶店を知っているのが優秀な部下だった時代も終りました。

こうして、デジタル化と携帯電話の普及が合わさって、仕事のやり方が大きく変わりました。 特に、印刷・デザインの領域はまるで違うものになった部分も大きく、鉛筆一本でできた仕事がPC無しでは成り立たない仕事になってしまいました。

体ひとつで独立できたのは昔の話、いまでは初期投資に100万円単位のお金と、机いっぱいの機器が必要です。 しかし、DTP初期には1000万円単位だったことを知っている身には、そのスペックの高度化とサイズの極小化には感慨深いものも有ります。

 

アナログとデジタルのいいとこ取りの21世紀

 

しかし、印刷のデジタル化が始まって約20年、インターネットが普及して15年。携帯電話もほぼ15年。アナログを知らない子どもたちが増えています。

もう、写植を見たことがある世代も40歳を超え、デザイン系では現場作業を離れつつある時期。 いまは、仕事を始めたときには机の上には一人一台PCがあって(20年前には会社に一台のPCを順番で使ったりしていました)、会社から支給される前に携帯電話を持っていて、学校の授業でPCを習ったりネットの使い方を教わったり、裏サイトがあったりした世代が仕事の核をなして行く時代です。

さらに下の年代、生まれた時からデジタルに囲まれている子どもたちを「デジタルネイティブ」と呼ぶそうですが、それに習って言えば、私より10年下の入社世代は「ビジネスデジタルネイティブ」とでもいうような、仕事がすべてデジタルを利用して進んで行く世代で、まさに彼らが今のビジネスの主流になりつつあるわけです。

ところが、面白いことにデジタル化の進展に伴い、デジタルの中にアナログの感覚が蘇ってきているようなのです。

デジタルは、すべて同じものを量産するのではなく、デジタルの閾値が上がれば、リアルな筆致をデジタルで再現したり、手書きをデジタルに取り込んだり、アナログと思えることをプログラム化しデジタルの世界に再現したりするようになります。ようは、いかにデジタルにアナログっぽいことをさせるかに腐心したりするようになるのです。

また、デジタル世代は縦の人間関係には弱いですが、横のつながりが強く、始終連絡をとりあっています。デジタル的な個の集まりではなく、連携して上の世代の既得権益を切り崩しデジタル化へと置き換えていくためなのか、アナログにも見える飲み会を多発し、たまり場での情報交換を好んでいます。

そして、そのためのツールの利用にも熱心です。PCでのチャット、携帯のSMS(ショートメッセージサービス)、SNS、ブログ、そしてツイッター。こうしたコミュニケーションサービスの隆盛は、彼らビジネスデジタルネイティブのコミュニケーション欲の高さ、情報のフラット化と入手スピード高速化欲求、などが背景にあるのではないかと思います。

こうしたデジタル化の世の中で、PCと携帯電話の一人一台以上の普及により、所属組織や機関によるまとまり以上に、情報ネットワークで結ばれた個人と個人の関係が優先されるようになっています。上司との付き合いよりもマイミクとの飲み会を優先するというようなことですが、組織という「建前」の人間関係よりもネットを通じて築いた「ホンネ」の人間関係を好むのが、今の時代の特徴なのです。

そして、その「ホンネ」のネット関係から生まれた「共有感」を背景にするのがソーシャル・メディアなのです。

中間組織が消えて、個人が個人と直結する時代だと言えると思います。

マスメディアの「崩壊」が叫ばれていますが、だから次に来るのがソーシャル・メディアだと言うことではありません。マスメディアの前提条件は、やはり大量生産大量消費であり、ある一定程度以上のサイズの塊に向けた消費メッセージの有効性はこれからも無くならないだろうと思います。

世界が中間組織を多重に有する入れ子構造のアナログな社会であることはこれからも変わらないわけで、その中間組織の有効性を理生要したマスメディアはこれからも優位だろうと思います。

でも、デジタル化と携帯電話の融合で、手のひらにPCが入ったいま、個人と個人の「共有感」を直接、ハイスピードで(ほとんどリアルタイムで)醸成するソーシャル・メディアは、新しい可能性を切り開くのでないかと言うことなのです。

 

iPadiPhoneの間で

 

この1ヶ月の間で、5月28日に日本でもiPadが発売になり、6月24日にiPhone4が発売になりました。この二つの機器の発売は、この連載のきっかけとなったソーシャル・メディアと電子書籍の世界に大きく影響するでしょう。

ツイッターを始めとするソーシャル・メディアが、新聞や雑誌といったマスメディアを取り込むために重要なプラットフォームになるのが、iPadだと考えられているからです。 そして、iPadの画面サイズに慣れるとスマートフォンに戻れないかもと言われていたのが、画面サイズはほぼ同じですが解像度を4倍にして、情報量をiPadに迫るものにしたのがiPhone4です。

手のひらサイズの携帯電話に一昔前のノートパソコンの画面サイズ並の960×640ピクセルの液晶モニターがついたようなものですから、さらに受信できる情報の可能性が広がったと言えます。 この960×640というサイズがなぜすごいのかと言うと、普通のサイトがそのまま表示できるからです。 私が昔ホームページの制作に関わり始めた頃はトップページは800×600ピクセルで作るのが常識でした。そのサイズならば、たいていのパソコンで表示できたからです。 いまはPCの標準画面が大きなったので変更されましたが、YahooやMixiのサイトサイズも横幅が800の時期は長かったと思います。

iPhone4は3.5インチ(対角線)画面にそのサイトを表示出来ると言うことになります。 さらに、iPhone4と2000年発売のiMacを比較しているサイトが有りました。(記事:2000 iMac compared to the 2010 iPhone

10年前にデスクトップPCとしては格段にコストパフォーマンスがよかったiMacに比べても、CPUのクロック数は2倍、メモリは4倍、HDDはほぼ同容量(フラッシュメモリになった分アクセススピードは上がっている)、動画エンジンも格段に進んだiPhone4は、まさに手のひらにパソコンが入っていると言えるのです。

iPadの画面は9.7インチ(対角線)で1024×768ピクセルですから、iPhone4より面積が約5倍あっても点の数と言うと1.28倍ということになります。広めの面積で大きめの文字をゆったりと膝の上で見られるiPadと、ぎゅっと詰まった情報量を手のひらの上で見るiPhone4。

用途と利用状況の違いを意識した商品コンセプトが、「画面」ひとつとっても見事に商品設計されています。 この二つのデバイス(情報機器)では、必要とされるメディアや視覚デザインが大きく異なる必要があることは、これだけ性格が違う「画面」をとっても、なんとなく想像されます。 そして、そこに流れる情報も利用者の需要に応じて「異なる」必要があるようにも思えます。 ここに、これからのデザイナーの戦場があるのではないかと私は感じるのです。