【観劇】「女中たち」を観に行ってきた:演劇の現代性とはスピード感なんだなあ
3連休の初日、お天気も良い土曜日に恵比寿・エコー劇場に劇団アルターエゴ第55回公演「女中たち」を観に行ってきました。
劇団アルターエゴは、声優の三ツ矢雄二さんが主宰する劇団で、所属の若手も声優さんをやっている子も多いのが特徴。
今回は、3つのキャスティングで、同じ台本を演じるという試みでした。
出演(トリプルキャスト)
Aキャスト
井上和彦/水島裕/三ツ矢雄二
Bキャスト
福麻むつ美/又村奈緒美/伊藤麻美/垣田夕紀/稗田宏美/大森留依/尹明華
Cキャスト
香坂千晶/大籔重樹/桑原知也/窪田亮/本道崇/小川大介/原田雄平
しかも、ジャン・ジュネの女中たちは、マダムと女中の姉妹二人(ソランジュとクレール)という3人しか出演しないものですが、ご覧のとおり、BとCは、劇中で女中が3組入れ替わるという構成になっています。
B 福麻むつ美さんは、元宝塚で、退団後は劇団四季で活躍してきたミュージカルスター。
C 香坂千晶さんも、元宝塚で、退団後は、中島みゆきの夜会に連続して出演するなど舞台を中心に活躍。(ブログ 踊るしゃちほこ)
そういう一流がマダムを演じ、脇で若手俳優陣が女中を演じるというのは、若手にとっては勉強になるでしょうが、演出もマダムも大変だったに違いありません。
しかも、
「女中たち」という台本そのものが大変難しい。
姉と妹、ふたりの女中が夜ごと興じる「奥様と女中ごっこ」。危険で残酷な遊びは次第にエスカレートし、警察への密告、旦那様の逮捕、奥様殺害計画と、臨界まで突き進む。乱反射する模倣と幻惑、破局と浄化の力。泥棒=詩人=革命家が20世紀に甦らせた、めくるめく祭儀的演劇。
大体、今頃なぜ、これを上演するのかというのがわからない。
演劇の上演というのは、良い本をやりたいだけではなく、やはり、なぜ今やるのかという視点が必要だと思うし、それが上演する劇団なり演出者なりの意図につながってくるはずだと思う。
しかも、演出内容(衣装、証明、音響、セット等々)が、その意図にそって変わってくるから、同じ台本でも時代や役者、演出によって変わるわけです。
今回、この台本を演じるには、私が若い時に見たもの(80年代のジャンジャン的な)とは違うものになるのだろうと期待していました。
私が見たのはCだけなのですが、3つとも見た方がいたらば、ほかはどうだったか聞いてみたいところです。
結論としては、女中さんたちは台本どおりにセリフを言うのが精一杯というところでした。
セリフとともに振り付けられていた動きも指示通りなんだろうな、という感じで、肉体の中から放出されるものというところまで行ってないような。
唯一、最後の組女中のソランジュ役は、芝居になっていましたし、最後の長台詞を大変心地よく効くことが出来ました。
声が良かったのと滑舌が大変良かったこと。そして、何より抑えれば抑えるほど狂気が滲み出る感じがしました。
この芝居を現在やるには、やはりスピード感が大事で、女中さんたちは、ものすごく早く正確にセリフを言う必要があります。そこを演出はかなり意識されたのだとは思いますが、役者たちが理解していたのかどうか。
と書いていて思い出したのが、先日見た「朝日のような夕日をつれて」でした。
感想とか内容とかは、まとめを見てください。
朝日のような夕日をつれて2014 - Togetterまとめ
ご存知鴻上尚史のデビュー作にして代表作で、何度も時代に合わせて上演されており、今回は2014とあるように、最先端の事物を盛り込んで作りなおされていました。
実は、私は学生の頃に同時代の演劇だった第三舞台を見ることがありませんでした。夢の遊眠社や自転車キンクリート、東京サンシャインボーイズなんかは見ていたんですが、第三舞台はそりが合わないと言うんでしょうか、台本も面白いと思いませんでした。
今回初めて見て、藤井隆の滑舌と動きのキレに驚き、それがこの芝居(なのかなあ)の現代性を支えていると感心したと同時に、小須田さんと大高さんの変わらない風貌にも驚きました(動きは落ちてましたけど)。
内容はともかく(私としては知っている知識ばかりで目新しさはなかった)、現代性というのは肉体が放出するスピード感が支えているのだなと改めて思ったものです。
唐十郎も、野田秀樹もその次代の圧倒的なスピード感を武器に芝居にエポックを築いた人たちでした。
そして、野田秀樹の凄さは、今もそのスピード感を保つどころか、さらに早くなっていること。
数年前に鬼子母神の赤テントで見た唐十郎の衰えは、そのスピード感が保てなくなっていたことでした。
今回、女中たちという芝居を久しぶりに見て、演劇の現代性とはスピード感なんだなあと感じたのでした。