【観た】永六輔追悼「夢で逢いましょう」at南青山マンダラ
7月14日19時30分開演のイベントを観に、南青山マンダラに行ってきた。
女優の中村まり子、歌手のクミコ、フリーターこと漫談/コントのオオタスセリという一見何の共通点もなさそうな3人が永六輔さんの1周忌の追悼公演をするという。
この3人は、実は、永六輔さんが存命の時にも公演をしていた。
2009年8月24日だった。早いもので、もう8年も前なんだ。
こういう時はブログに書いておくと思い出せていいですね。
何でこの3人が永六輔さんの追悼公演をやったのかは、この記事を読んでいただきたいけど、記事の最後に「それにしても、永六輔さんの生前葬に見えたのは、偶然だろうか。」と書いているのが今度は、本当に追悼公演になったわけです。
舞台に大きな永さんの写真を置き、その前で、クミコさんが永さん作詞の名曲を歌い、まり子さんが永さんが作った一人芝居「もしもし母さん」を実相寺昭雄監督から譲り受けた(正確には、実相寺夫人である女優の原知佐子さんから)「黒電話」を使って演じ、オオタスセリさんが「ストーカーと呼ばないで」を弾き語るという、贅沢なんだか迷惑なんだか(byオオタスセリ)わからないような内容。
今日15日は2回公演だそうですが、まだチケットはあるかもしれません。
グタグタな進行も微笑ましく、まり子さんと田村連さんのデュエット(二人の銀座)も聞けて、私は大満足でした。何回見ても「もしもし母さん」は泣けます。
最後に、永さんのお孫さんの本を買って帰りました。
900円だし。
ゆっくり読もうと思います。
【追想】利根川先生と私
理化学研究所脳科学総合研究センターの利根川進センター長が退任すると発表された。
利根川先生と言えばノーベル賞受賞者でありながr、受賞テーマである免疫機構から、その研究テーマを脳に変えて、大きな業績を上げてきた分子生物学者だ。
大きな成果を上げた研究テーマを続けずに、次の分野にチャレンジするというのはありそうでなかなかないことで、しかも、その新分野で成果を出すというのもすごいことだ。
そんな利根川先生とはなぜか、私の人生と数回交差することがあったので、人生の記録として記しておきたい。
最初にお目にかかったのは、当時の仕事でのインタビューだった。
2001年4月4日に野茂英雄がレッドソックスでの初登板でノーヒットノーランを記録したその日(野茂英雄 - Wikipedia)。私は、ボストンの街を翌日のインタビューのことを考えながら歩いていた。
そのインタビュー相手というのが、利根川先生だった。
当初のアポイントメント時間は、11時から12時まで。ところが朝9時から始まった会議が押してしまい、同日の17時から再度インタビューすることになった。
16時30分くらいに研究室に行くと、隣の部屋から大きな声が聞こえている。利根川先生が話しているらしい。秘書に聞くと、朝9時からこの調子だという。会議の9割は利根川先生が話している。決して流暢ではない英語だが、相手に口を挟ませない迫力が感じられた。そんな人にインタビューすると思うと、ますます緊張が増してくる。
18時頃ようやく終わった会議の後、休憩しますかといった私を制して、すぐに始めましょうと利根川先生が言ったのを合図にインタビューを開始した。
私が一言質問すると、その返事が10分以上。その繰り返しで、あっという間に2時間が経った。予定していた内容を聞き終わり、インタビューを終えようとした私に、利根川先生は短かったね、と言った。そんなことはない。
インタビューをまとめた記事は掲載した分だけで約2万字。それでもインタビューで聞いた分量の1割以下だった。
そのインタビューは私が編集者として加わっていた科学情報誌に掲載された後、利根川先生が推薦してくださって岩波新書にも掲載された。
後にも先にも、あれほど準備して臨んで、緊張した仕事はなかった。
そして、その後、奥様の吉成真由美さんにも何度か原稿をお願いすることもあった。
時は流れ、私は編集者から研究の世界に飛び込むことになった。
そんな2009年4月。利根川先生が理研BSIのセンター長に赴任された。
その就任挨拶の場に、私もいた。私の勤め先が理研になっていたことに、利根川先生と一緒に来ていた吉成さんが驚いていた。
そして、2017年6月。
利根川先生が退任された時も、私は理研に勤めていた。
しかし、その退任前の最終講義の日に、体調を崩していた私は理研所内にいられなかった。それが悔やまれる。
いつの間にか、あのインタビューから16年が経っていた。
時の流れは早いというのは、あまりに陳腐な言い方だけど、早いだけではなく、その時間がなんだったのかと考える。
その時間は誰にも同じように流れているようで、全く別の密度で流れているのだなと感じる。
私の密度は濃かったのか、薄かったのか。解像度は高かったのか、粗かったのか。
それは、今わかることではなく、いつか気がつくことのように思う。
【ポケGO】2か月強でレベル35になりました
1周年イベント中でもあり、ポケモンを捕まえた時のポイントが3倍(詳しくはこちら)ということもあってポイントが急上昇。
Pokémon GO 1周年のお祝いです! - Pokémon GO
2か月強で、なんとかレベル35に到達しました。
レベル34になったのが4月12日でした。
2か月強ですね。長かった感じもします。
ここまで、13727(前回11486)匹ポケモンを捕まえて、385(同299)個卵を孵して、2402(同1991)匹進化させて、17819(同15024)回ポケスポットを訪れて、1313.51(同1096.55)キロ歩きました。
ジムで456(同378)回対戦に勝ってます。
図鑑は、カントーが142+ジョウトが77で219(同206)種類になりました。
2241匹 捕まえて、86個孵して、411匹進化させて、2795回ポケスポット訪れて、216.96キロ歩いて。
この次は150万点なんですが、いつまでかかりますかね。
この先の長さに、若い人は嫌になってしまうんでしょうか。
コツコツやるのは、中高年の方が向いているのかもしれませんね。
【GW2017】大山詣りに行ってきました(その3)
下社の参拝を済ませて、大山寺に向かいます。
ケーブルカーでもいけますが、せっかくなのでお参り道を歩いて下ることにしました。
これが苦難の始まりでした。
石段があればまだいいんです。
女坂とあるので女性でも登れるような緩やかな坂なのだと思うじゃないですか。
ところが、、、
一応石積みになってますが、均等に積まれているわけでもなく、足を置く石を探しながら下りていきます。
あまりに大変で写真がないです。
そして苦労の末についたのがこちら。
こちらの御本尊はお不動様です。
鎌倉時代のものだそうですよ。
阿夫利神社と大山寺は、元は一体のものだったのですが、明治の廃仏毀釈で寺が分離されたということのようです。古い神社仏閣にはそういう経緯のところが結構多いので、気をつけて見てみると良いかなと思いますね。
さらに下りていくと、次第に道の傾斜が緩やかになり、こんな山の人気者も現れました。
こんな景色も素敵です。
いたるところに湧き水が滝のようになっているんですが、大山に来たらば、見なきゃいけないのが、やはり、この滝。
昔は、この滝で身を清めてから山に登ったそうです。
滝口が龍になってました。
バス停で、いくつか戻ることになるので、ケーブルカー乗り場に行ってしまうと、いきそびれるので注意が必要です。
そして、お土産で有名なのが、こちら。
蒸し立てをいただきました。甘さがあっさりしていて美味しかったです。
川に架かる鯉のぼりが季節を彩りますね。
後はバスに乗って帰るだけです。(おしまい)