2011年3月11日のことを忘れないと言いながらも、徐々に薄れていく記憶。
あの頃、あんなに暗かった新宿の街もすっかり明るくなり、違いといえば、蛍光灯やネオンからLEDに変わったこと。そして、外国人旅行者がめっきり増えました。
忘れないように、その日の記録を貼っておきます。
5年前は和光市で働いていて、一度、駒場に変わったんですが、また和光市に戻ってきました。同じ場所の違う建物で働いています。
あの日は、今日よりも暖かったなと思います。
今日の寒さは、東北に思いを起こすためなのでしょうか。
SNSといえば、ツイッターがメインで、まだフェイスブックは始めていなかったような気がします。
電話が通じない中で、ガラケーから必死にツイートしていました。
翌日も、その翌日も、テレビを見てはツイート。ツイートを見てはリツイート。
今は、あれほどツイッターやってないですね。
被災地にいた大学の先輩のお孫さんが助かっていたことを喜んだり、被災地が地元な知人の書き込みに凹んだり、そんな数日。
年度末ということも有り、出張に行ったり、納品予定が狂ったのを予算の年度持ち越しができないか掛けあったり(結局、超法規的に持ち越されました)、忙しい日々。
そんな中、この記事は多くのアクセスが有った。
被害が津波だけではなく、その結果としての原発事故があったことで、情報が少ない中で、科学者や科学ジャーナリストが矢面に立たされ始める。
そして、何もかにも自粛の流れ。
でも、自粛だけが対処法なのかという問いが生まれる。
そして、一週間。
この時感じた「新しい日常」は、オリンピックムードにかき消されてしまった。
つましく暮らし、買いだめなどせず、譲り合い、闇に慣れ、少し遠くの駅からでも歩く。
そんな暮らしが、日常になるかもしれない。
その始まりを1週間暮らしたのかもしれない。
私たちは、今どんな日常を過ごしているのか。
あの時の日常を思い出し、思い直してみることも必要であり、鎮魂と同時に今あることを寿ぐことも大切ではないかと思う。
そんな今日。