新宿三光町日乗

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【新宿散歩】神田川沿いを歩きました

地図子さんの真似と言うほどではありませんが、新宿区内をぶらり散歩。

マスクをして歩いているのが馬鹿らしいほど暑い土曜日。

涼を求めて、靖国通りを西へ。

歌舞伎町の前を通って、大ガードを抜けて、青梅街道を歩いて、成子坂を下って、着いたのは、淀橋。

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これが新宿淀橋の欄干。昔のものを使ってるんだそうです。

 

新宿駅の西側は昔、淀橋区と言っていて、東側の四谷区東北側の牛込区とが合併して、新宿区になったわけです。

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今では、ヨドバシカメラにしか残っていないような淀橋ですが、高層ビル街も淀橋浄水場だったわけですし、新宿区の原点のような場所が、このヨドバシになるのだと思うと感慨深いものがあります。

ja.wikipedia.org

淀橋(よどばし)は、東京都新宿区中野区の境の神田川に架かる青梅街道上の橋。現在の新宿駅西口の一帯を指す地域の旧称でもある。

 と言うことで、この橋を渡ると中野区。

ここから神田川沿いに新宿区側を歩きます。

この橋の欄干は、大正時代のものを使っていると言うことで、立派な欄干ですね。

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橋自体は、平成に立て直したようなのですが、欄干は大正13年と言うと関東大震災後に建てたものでしょうか。

こう言う試みは歴史を継いでいくことになって、嬉しい気がします。

欄干も、先ほどは平仮名で書いたものを出しましたが、反対側(北側の西側)に漢字のものもありました。

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それにしても、なぜ淀橋なのかと言うと、家光が、淀川に似ている方といった体という解説が書いてありました。

新宿区の解説にも、そのようなことが書いてあります。

成子村と中野村の間を流れる神田川にかかっている橋を餘戸、あるいは四所橋と呼び、これから転じたものか、また、寛永年間3代将軍家光が橋のそばで休息したおり、川の流れがよどんで見えるから淀橋にせよといったとか、さらに亨保年間8代将軍吉宗が山城国(現在の京都)淀にその景色が似ているので名づけたとか、そのほかいろいろの説があり、いずれも橋の名からその地名が生まれたようです。 

 今見ると似てるかなあ、と言う気がしますが、当時は、ただの田舎でしたから、淀んでいるくらいの川だったのかもしれません。

そんな歴史に想いを馳せつつ、日陰の川沿いを北上します。

この川沿いは、歩行距離がわかる目安があったり、整備されていて歩きやすいです。

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ここまで来れば、人が少なくて、マスクなしで歩けるだろうと思ったのですが、似たようなことを考える人はいる物で、ランニングしている人や散歩している人、子供を遊ばせている人など、それなりにすれ違いました。

そして、こんな場所でも、ご時世ですね、看板があります。

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しばらくは、こんな感じでしょうかね。

ゆるゆると小滝橋まで歩いて、高田馬場に用事があったので、川とはここでお別れして、早稲田通りを歩きます。

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ナショナル坊やも、マスクしてます

街中になればマスクは必須。

結局、新宿・花園神社から歩きはじめて、コンビニ寄ったりしつつ1時間半ほど歩いたでしょうか。

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こんなコースでした。

途中コンビニで買ったドリンクを飲みつつ、暑かったけど、楽しかった新宿散歩でした。