新宿三光町日乗

見かけたもの、出かけた場所、食べた料理などを写真中心に

【大人の遠足】ワインツーリズムが中止なら、自分たちが行けば良いのだ:その7:酒折宮と酒折ワイナリー

山梨県立科学館まで登った山道も辛かったけれど、この後の山下りが地味にきつい。

愛宕山スカイラインと呼ばれる道の歩道を延々と降りていく。

途中、少し早いけれど、それなりに紅葉している山の中をゆく感じになる。

f:id:fujita244:20201110153512j:plain

本当に一部にしか、綺麗な紅葉はなく、でも一面モミジなのでもう少ししたら綺麗だろうなと思いながら。

f:id:fujita244:20201110153650j:plain

登りは太腿が痛いが、下りはお尻とすねが痛くなってくる。

降る際に膝をうまくクッションにしないと、体重がお尻にかかってしまうからだ。

ようやく降り終えても、まだ天気は悪い。

f:id:fujita244:20201110153735j:plain

山の上は煙って見えない。

f:id:fujita244:20201110153900j:plain

あの中にいたのかと思うと感慨深い。

さて、次はどうしよう。

Facebookを見ると、残りの皆さんが10時30分過ぎに湯村温泉からシャトー酒折にタクシーで向かうと書いてあるではないか。今は、10時少し前だろうか。

これは、歩いて向かえばちょうど良い時間に合流できるのではないか?

すでに、湯村温泉から愛宕山越えしているので、怖いものはない。

山の手通りを東に進むと、カイテラスから善光寺が見えてくる。

善光寺は何度も伺いました。特に一昨年じっくり見ています。

fujita244.hatenablog.com

そして、トンネルを越えようかと思ったところで、気になるものを見つけました。

f:id:fujita244:20201110154630j:plain

これはなんぞ。

sakaorinomiya.jp

酒折宮は山梨県で唯一、古事記日本書紀に記載のある古い神社です。記紀には、日本武尊が東夷征伐の帰りに酒折宮に立ち寄り、
 「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」
と片歌で問いかけたところ、御火焚の者が
 「かかなべて夜には九夜日には十日を」
と片歌で答えたことが記載されています。この問答歌のやりとりが日本における連歌の起源とされ、酒折宮は「連歌発祥の地」と言われています。

 長年、この辺をうろうろしていて知りませんでした。

酒折のもとになるオヤシロがあったとは。

1900年前のことというのですが、なるほど趣深い神社でした。

f:id:fujita244:20201110155011j:plain

御本殿は、昭和17年に立て直したものだそうです。

f:id:fujita244:20201110155022j:plain

これが連歌の碑ですね。

f:id:fujita244:20201110155031j:plain

本居宣長の碑。

ja.wikipedia.org

さらに1791年寛政3年)、国学者本居宣長は、甲斐在住の門弟である萩原元克に依頼され『酒折宮寿詞(よごと)』を撰文し、それから48年後の1839年天保10年)になり平田篤胤の書によって『酒折宮寿詞』は『酒折祠碑』と並んで建立され、2つの碑文は現在も酒折宮境内に残っている。

f:id:fujita244:20201110155043j:plain

由緒正しい感じがしますね。

お参りした後は、酒折ワイナリーに行くわけですが、これがまた坂の上なんですよね。

f:id:fujita244:20201110155714j:plain

徒歩で登るのはきつい。

這々の体で到着。入り口で検温された時は、熱があると言われるんじゃないかと気が気じゃありませんでした。

早速甲州の飲み比べ700円をいただきます。

f:id:fujita244:20201110155801j:plain

f:id:fujita244:20201110155842j:plain

燻製した6pチーズがうまい。

ここで皆さんと合流できました。10時50分くらいでしたかね。

濁り美味い

この頃にはようやく晴れてきました。

ここで少しまったりして、13時に予約してあるドメーヌQへと向かうことになります。

湯村温泉ホテルでいただいた1000円のチケットで、ここでお土産を買いました。

f:id:fujita244:20201110160209j:plain

下がったり、上がったり、人生のような1時間を過ごして、ようやく少し落ち着いたわけです。

湯村温泉から通算で、2時間半、13000歩ほど歩いたことになります。

(続きます)